【相川佳之ドクターのプロフィール|湘南美容外科の創業者】

貧しさと劣等感の中でエネルギーを得た少年時代

 

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相川ドクターのことはトップページでも紹介していますが、そこに書ききれなかったことをここにまとめました。

 

幼少時代から独立までのことを収録しています。

 

出典は主にドクターの著書「情熱経営」幻冬舎 刊です。

 

幼少〜学生時代

 

父の会社の倒産で貧困のどん底へ

湘南美容外科の創業者・相川佳之氏は、1970年に神奈川県で生をうけました。

 

お父さんはスーパーマーケットの経営者で、家は裕福でした。

 

しかし、佳之氏が5歳の時に会社が倒産し、お父さんは鬱病で働けない状態になります。

 

薬剤師のお母さんは、小さな薬局を切り盛りして家計を支えました。

 

身を粉にして1日中働いたおかげで、借金は減り、暮らし向きは改善していきました。

 

このお母さんの姿から「愚直にやることの大切さ」を学んだと彼は語っています。

 

また、貧しさの中で育ったことについて、「お金がないことで工夫する力が身に付いた。」と。

 

リーズナブルなクリニックを目指すようになったのも、この体験があるおかげだ、とのことです。

 

低身長コンプレックス

貧しくともたくましく生きていた佳之氏ですが、思春期に入るとコンプレックスに苦しめられるようになりました。

 

それは背が低いことです。

 

小学生の時は気にしなかったが、中学生の時に祭りですれ違った女の子の言葉が聞こえて、深く傷ついたそうです。

 

そこから自分なりに背が伸びる方法を勉強しました。

 

牛乳を飲んだり、体操をしたり、トレーニング用具を買ったり、怪しげなサプリを飲んだりしたが、効果はなかったようです。

 

ついには成長ホルモン注射の治療をしている医者に会いに行きましたが、病気ではないので、取り合ってもらえませんでした。

 

この時の悔しさが、美容整形の道に進む、一つの動機になったと語っています。

 

テニスに明け暮れた青春

最初は薬剤師になって家業を継ごうと思っていましたが、医師の道があきらめきれませんでした。

 

両親に相談すると、医学部に行くことを快諾。

 

彼は日本大学医学部に進学します。

 

家が裕福ではないのに、私学の医学部に進ませてくれた両親にとても感謝しているそうです。

 

中高大を通じて、スポーツはテニスに没頭したようです。

 

関東医科歯科リーグでは、優勝まで果たしたそうです。

 

美容外科の道へ

彼は26歳で医学部を卒業、医師国家試験をパスします。

 

癌研究会付属病院で全身管理・麻酔医療の研修を受けながら、大手の美容外科で研鑽を積みます。

 

ここで彼は脂肪吸引という手術に出会います。

 

体力が必要でみんなが嫌う仕事ですが、技量の差が明確に表れ、経験を積むほどうまくなります。

 

根っからの体育系の彼は「これこそ自分が身に着けるべき技術だ」と思い、一心不乱に取り組みました。

 

そして一芸に秀でることで頭角を現します。

 

美容外科の道を進むと決めた時、先輩医師から「医者の道に進んでほしかったよ」と言われたそうです。

 

蔑まれたこの時ほど、美容外科に情熱を感じたことはないそうです。

 

必ず美容外科を「立派な職業だ」と言われるようにしてみせる!そう誓いました。

 

独立へ!

自信をつけた彼は29歳の時に独立し、湘南美容外科の第1号院を開設します。

 

美容外科の勉強の期間が短いのでは?と見られることはわかっていました。

 

しかし、早く両親を安心させられる収入を得たかったのです。

 

無給に近い大学病院の研修医をやっている余裕はありませんでした。

 

そして修行にいった大手美容外科で、グレーな業界の現実に触れて幻滅したことも、早く独立したい原因だったといいます。

 

患者の健康や人生を考えない儲け主義、不透明な料金などにうんざりし、自分の手で理想のクリニックを作りたいと思ったのだそうです。